教員の声

公共

21世紀における公共性
身体をめぐる言説・運動・制作の変容過程を検討しつつ、断片的な生のあり方を拾いあげながら、デモクラシーと生存のための社会システムの公共性を探ります。

生活史-岸政彦

寛容さがますます失われつつある今、「他者理解」は何よりも私たちにとって必要なことだが、一方で他者を安易に理解することは暴力ともなりうる。私は、さまざまなマイノリティの個人的な生活史(ライフヒストリー)に耳を傾けることを通じて、ささやかながら、他者を理解することの可能性と不可能性について考えている。私たちはみな、どうしようもない現実のなかで、少しでもよりよい人生を生きようと懸命に努力している。そうした人生の物語が語られる現場に立ち会い、記憶と経験と歴史的現実が生まれる瞬間を目撃するために、今日もICレコーダーの小さな舟に乗って、生活史の海に漕ぎ出す。そこにはすべての苦しみ、悲しみ、喜び、希望と絶望がある。

身体の現代-立岩真也

私は私の仕事を続けていければいくことになりますが、以下はその一部でもあり、ただ自身でとてもできず、多くの人がいるとよいと思うこと。通っていない研究費応募書類の冒頭。「障害や病が訪れて人は身体の差異・変容を生きる。その人達を巡ってこの国でこの50年あまりにあったことの大部分は、記録も考察もされていない。今後しばらくが最後の機会となる。気鋭の研究者の力と大学院生・修了生の参与を得て、研究を組織化し、以下を明らかにする。」続きはHP検索→「生存学」→「身体の現代-言説・運動・政策」。

医療・身体性・グローバリゼーション・思想-美馬達哉

人間の身体は私的な領域に属しているだけでなく、現代社会においては、バイオテクノロジーによって人格と切り離された独自存在-臓器やiPS細胞など-として公的領域のなかに組み込まれつつある。こうした意味で、身体と公共という論点は現代社会において重要である。今後の研究計画としては以下を考えている。
  • フーコーの権力論を批判的に継承しつつ、リスクに着目して、現代のグローバリゼーション状況のもとで身体性がどう変容しつつあるかを分析していく。
  • 医師という経歴を生かして、理系と文系の両方の分野を横断的に取り扱って、公共性を再考していく。
  • 脳可塑性の臨床応用とその社会的含意について、オシロロジーの観点から検討していく。

生命

争点としての生命
生命科学・医療・福祉をめぐる科学的知識・技術の歴史的検討、倫理的諸問題の整理を通じて、生命・生殖・病・死を総合的に探究し、新しい生命の理解と倫理の構築可能性をひらきます。

生命論の倫理的争点-小泉義之

哲学・倫理学を基礎に、小泉が中心となって、近現代において生命と生物が理論的にどのように認識され、文化的にどのように表象されてきたのかを整理して、新しい生命論を展望する。また、現代生物学がいかなる倫理的課題に直面し、現代文化がいかに生と死を表象しているかを整理し、生命と生殖と病と死について総合的に研究する。そして、現代的な生物間ひいては人間観を構築することを目標とする。

生命と技術の倫理-松原洋子

科学史・科学技術論を基礎に松原が中心となって、生命科学・医療・福祉に関する科学的知識および科学技術をめぐる諸問題について広範な資料収集をおこない、適切な研究法を探求する。個体レベルでの生命の保持や能力の増進、次世代にかかわる生殖や出生の管理、個体間での生体組織・機能や情報の交換、個と全体の関係が問われる人口・生態系・進化など、様々な位相に注目しながら、科学と技術の抱える問題を、整理・検討する。そして、こうした問題に接近するための生命論と、あるべき新しい倫理の構築をこころみる。

共生

共生の可能性と限界
多大な犠牲をともなう不完全な共生実験であった人間の歴史を批判的に遡りつつ、未来に向けて、そうした犠牲を伴わない生命と生活の可能性を構築する方途を探ります。

狡知、アナザーワールド、そしてLiving for Todayの人類学的研究-小川さやか

文化人類学を基礎に小川が中心となって、世界各地の同時代を生きる人々の日常的でミクロな営みから、他社と共によりよく生きるためのしくみや知恵、新しい人間観・世界観を模索する。とりわけ、Living for Todayの営みや、窮地を切り抜ける実践・行為(はったり、ごまかし、愛想笑い、逆切れなど)と、そこで働く狡知を民族誌的な事例から検討する。新自由主義的な経済システムや未来優位の時間の観念、生産主義的て自律的な主体観に縛られたわたしたちの生のあり方を相対化し、一つではない多様な生のあり方を構想する。

市民社会は共生のモデルとなりうるか?-P・デュムシェル

政治哲学を基礎にデュムシェルが中心となって、市民社会の起源と構造を論じた様々な社会、政治哲学の再検討を行う。西洋のそれぞれの国民的伝統の中で市民社会が形成され、また、この社会の原理を根拠づけるさまざまな哲学の流れが生み出されてきた。市民社会においては、欲望を実現する主体としての市民を前提として、市民が契約し、経済システムを構築し、社会を民主的に運営するとされているが、欲望はどのようにして構成されるのか、欲望と経済システムの関係はいかなるものなのか、そうした基本的な視点から、そこに含まれた「普遍的」とされる原理の可能性と限界を問い直す。

カタストロフィと文学-西成彦

人類はかずかずの「災厄」に彩られてきた。自然災害であれ、戦争や人災であれ、災害は決して一様にひとに襲いかかってくるわけではない。しかも、加害者側に立って責任を引き受けなければならないことが往々にしてある。そうしたなかで、「カタストロフ」の危険にさらされてきたひとびと、および、そこに加害者・傍観者として関わってしまったひとびとの経験と記憶は、その一部が「記録」に残されるが、それでも足りない部分は「文化的な想像力」にゆだねるしかない。文学の可能性と限界を考える。

人類学から共生の可能性と限界を考える-渡辺公三

文化人類学を中心に共生の可能性と限界を考究する。共生は人(個体、集団)のあいだの関係、人と他の生物種、人と環境の関係などさまざまな位相で考えられる。一つの空間を複数の個体が同時に占めることはできないという真理と、同じ場をめぐって人や生物や物が、共存から排除他の存在の抹消までを経験する多彩なスペクトルの変化の歴史とのあいだに、法学、政治学、生物学、環境学など多様な学知の成果が錯綜するのが共生というテーマ領域である。マルセル・モースの再評価、共生の文明論などが主題となる。

表象

文化と芸術の表彰論的分析
文化と芸術の諸事象を表彰論的観点から読解・分析します。技術、歴史、思想、実践への理解を主軸とし、創造と受容の場、諸々の文脈、メディアといった問題系へとアプローチします。

社会におけるアートの作用機序-竹中悠美

芸術学を基礎に置き、社会の中でアートに託された機能とそれを実践するための制度的・技術的システムを検討する。アートがパブリックな文化財として「消費」される現代の資本主義社会において、われわれとアートを取りもつ主たるシステムは美術館やアートセンターいう場所と情報メディアである。そこで、展覧会、アートプロジェクト、文化政策が企図する文化運動の方法と課題、およびメディアにおけるその扱いを検証することによって、アートの意義を問い直す。

現代哲学と批評のあいだで思考する-千葉雅也

表象文化の多様なケースを併せて考察するために、現代哲学を触媒として芸術・文化・社会・欲望の諸理論を交流させ、そして、領域「横断的」な論述の方法、および「批評」的なスタイルの修辞学を検討する。人間=私たちを特権化しない「ものごと」の存在論・形而上学と連動して展開される表象論を目指し、これを、現代のテクノロジー状況-それは「人間性」をめぐる常識・良識を変容せざるをえないだろう-に応じた「人文学への批評」の一環として掲示していく。

感性学的デザイン論-吉田寛

感性学(エステティックス)の観点からデザインやもの作りのための理論を構想・構築する。感性学は、本来的には「受け手」の側の様態を分析するための理論だが、多くの製品やサービスがユーザビリティやインタラクティヴィティを重視するようになった今日、感性への着目はデザインにおいて欠くことのできない重要な視点となりつつある。インダストリアルデザインからウェブデザイン、ゲームデザインまで様々な分野に光をあて、デザイン実践と密接に関連付けられた体系的理論としての感性学を打ち立てる。